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 遠くにもっていく

遠くに自分をもっていくというのは、遠くに自分の姿を想像することですか?
先生 自分の気配を想像することです。
自分の気配。そうすると、それは視覚的な映像が完成するとかということではないのですね。
先生 わたしは、以前、わたしの先生の後ろで座っていました。先生がついたてのあちらで座っていらっしゃるのだけれど、どのように座っていらっしゃるのか、最初のうちは覗いたりしました。
そしたら、何のことはない、ただ黙って座っていらっしゃる。
あとは、どうするのかなあと思って、見えないついたての後ろで、じいっと先生の気配を伺うというか、じいっと波動を合わせて、先生がおわると、手をお打ちになるから、それまでは先生の気配を、聞き耳をたてるようにして座っていました。
聞き耳をたてるといっても、聞こえる訳じゃないから、これ以上どうするのだろうと思ったとき、自分の心臓とか、呼吸とか、気配がどうしても邪魔になるのです。
自分の気配があるから、先生の気配がわからない。
じいっと息をこらすよう、自分の気配がなくなるようにして、自分を先生に投影するようにしました。いつも、先生の状態を見ていました。
すると、実によくわかるようになったのです。
それは、気の世界です。
その奥が目覚めないとアストラルということにはなりません。
アストラルが醒めないというのは、その世界がわからないということです。
自分がこの世の恥部だとか、弱点として、ふっと隠すようにもっている、それがカルマです。それを自覚しなさいと言われると、いつも避けているものを何で見なければ瞑想でないのだろうと反発します。
本当だったら、それは包帯をするように、覆い隠して、ないものにするのが本当だろうに、傷口をあけるようなことをすると思ってしまいます。
それは、その世界で目が醒めていないということです。
その世界の傷というのは、やはり、この現実の、肉体の世界では、嫌だ、見たくない。悲しいことだったり、嫌なことだったり、そういうこととして、この世にもってきていることだから。自分だって見たくないし、まして、人から指摘されたくありません。
しかし、それは、カルマとして、本人が直していくこと、この世をよく生きていくための、方法でもあるのです。
自分そのものを遠い所、この世ではない所にいくには、自分から感覚を遠くにもっていけばいいのです。
自分の気配をなくせばいいのです。





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