Home 瞑想対話集:目次

 対立を抜ける

先生 わたしが自分をAとB、肉体の自分と内なる自分、とに分けて話をすると、みんなは対立してものを見る目から離れられない。対立的なものの見方から離れられないのは何だろう。
ああ、対立しています。考えたりしていますものね。それは対立ですね。対象を違う自分が扱っているということですから。
先生 対立していないで、どうしてAもBも両方わかるような目ができないのだろうと思う。
やっぱりAという自分がかわいいからでしょう。
先生 その観察的な目が正しいとみんな思っています。
もっともっと離れてみなさい。近くにいって、ちまちまと観察するのではない。この対立を抜ければ、滝に入っても、神様と語るにしても、そこが分かると思います。
二元対立を越えるのですね。
先生 そうです。そこまで引き上げて、二元対立的な瞑想ではなくなれば、滝に入っても何も考えることができないような、自分には結局何もないと気がつくような、そういう所までいけば、もっと生き方とか、境地が変わると思います。
そこまで引っ張っていけば、わたしの責任は果たしたと思います。
だから、支えのない思念、それを覚えないと、それがわからないと二元対立的な所からぬけられないのです。
支えのない直観は、客観性から生まれてきます。客観的に生まれたとき、主客逆になっていないと、いつまでも客観世界をぬけられません。
みんなAもBも両方みるCの目を持っていないのです。わたしも方便でA,B,Cというけれど、最初からCの目はあるのです。どんな低い所であっても。




Home 瞑想対話集:目次 瞑想対話集:索引(カテゴリー別) 瞑想教室・修行の旅



Home
瞑想・滝行の本の紹介のページもご覧下さい
 
瞑想

瞑想から荒行へ


瞑想から荒行へ
    
滝行
滝行
大自然の中新しい自分と出会う


滝行