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| 先生 | わたしが自分をAとB、肉体の自分と内なる自分、とに分けて話をすると、みんなは対立してものを見る目から離れられない。対立的なものの見方から離れられないのは何だろう。
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| H | ああ、対立しています。考えたりしていますものね。それは対立ですね。対象を違う自分が扱っているということですから。
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| 先生 | 対立していないで、どうしてAもBも両方わかるような目ができないのだろうと思う。
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| H | やっぱりAという自分がかわいいからでしょう。 |
| 先生 | その観察的な目が正しいとみんな思っています。 もっともっと離れてみなさい。近くにいって、ちまちまと観察するのではない。この対立を抜ければ、滝に入っても、神様と語るにしても、そこが分かると思います。 |
| H | 二元対立を越えるのですね。 |
| 先生 | そうです。そこまで引き上げて、二元対立的な瞑想ではなくなれば、滝に入っても何も考えることができないような、自分には結局何もないと気がつくような、そういう所までいけば、もっと生き方とか、境地が変わると思います。
そこまで引っ張っていけば、わたしの責任は果たしたと思います。 だから、支えのない思念、それを覚えないと、それがわからないと二元対立的な所からぬけられないのです。 支えのない直観は、客観性から生まれてきます。客観的に生まれたとき、主客逆になっていないと、いつまでも客観世界をぬけられません。 みんなAもBも両方みるCの目を持っていないのです。わたしも方便でA,B,Cというけれど、最初からCの目はあるのです。どんな低い所であっても。 |
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