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| 雪国のある神主さんが、雪山で亡くなった人の遺体を背負って、山道をおりてきた。 遺体を背負うということがいい気持ちであろうはずはない。しかし、してあげなくてはならないと、その役を引き受けた。 一年後、雪山で彼は転んだ。急な斜面を彼はすべり落ちた。 「ああ、このまま落ちれば、自分は死ぬな」と思った。 木の枝をつかもうとするがつかめなかった。ますます、スピードがついて、もう観念したとき、穴があった。そこに落ちた。その瞬間、あっと思い出した。 そこは、去年なくなった人の遺体のあった場所だった。 救ってもらったと思ったと神主は語った。 |
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| 佐藤 | 意識というものは、潜在意識とか集合無意識の影響を始終うけています。 一定のものではありません。 影響ということは、自分が善をしたら善でかえってくる。魂を救ったから、命を救ってもらえたということです。 大脳では、その木をつかめば助かるだろうとおもうけれども、実際は穴があって助かった。 大脳で考えたのは違う、もっと大きな力で助けてもらっているのです。 理性的な人たちは、御霊の働きといっても信じられない人が多いことでしょう。 無意識や潜在意識に影響されて生きているということは、穴におちたとき、あっと思い出すように、サインのようにわかってくるのです。 瞑想のとき、現実のごちゃごちゃしたことはいったん止めて、深いところの自分をみるのです。 みなさんは現実主義ですから、あの木をつかめばいいのだろうとじたばたする。溺れるものはわらをもつかむといいますけれど、わらをつかんでも溺れます。 死んだ気になって、一度、そこまでいけば助かる道もあるのです。 |
| 神主 | 運がよかったというだけではすまされない。あの木をつかもうというのは人間のあがき。それが現状でしょうが、それ以上に大きな力というか、無限なものがあるのです。 |
| 佐藤 | そう。それが集合意識なのです。 |