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心の進化 その2

質問と反論です。
ある行為と自分のなにのこうすべきだという信念がぶつかったときに、全体のながれのなかで譲らざるを得ないという場合があります。
異を唱えてはっきりという場合もあるし、黙ってみている場合もあります。
二者択一となったとき、佐藤先生にその話をしたら、笑って、あなたは家系的にもそうかもしれないけれども、精神的なところで人より優位な立場に立ちたいというような気持ちがあるからねといわれたら、すうっとその葛藤がとれました。
不埒な自分を責めている正義の自分も不埒な自分だったりしているような気がします。
先生 この経済社会で生きていくには、背に腹は変えられないというところはあるかもしれないけれど、いつまでもそうあっては駄目なのです。いつかは、もっと正しい人類でなければならない。
自分自身からもものからもはなれた自由な心をつくらなかったならば、いつまでたっても苦しい。苦しむために生まれてきたようなものです。
二者択一に並列にものを考えて、一生をおわっては駄目です。
その裏はどうなっているのだろうというふうに、垂直にいくのが、心の自由であって、心の進化というのです。
ものからも、自分自身からも自由になるということは、三昧にはいったならば、浄化される世界、浄化される人間の心というものがあるのです。
自分の心の成り立ちも、考え方もかえられる力がでるのです。
自分の心というのは、自分という奴はと箇条書きでもいいからしておくこと。
そこから、垂直に心が自由になる。まだ、自由になっていないから、そんなに悩むのであろう。
そういうふうに、自分の判断の基準がたかくなっていけば、瞑想も価値はあるとおもいます。
不埒な部分があって、その部分がわかっても不埒なことをし続けていたら、良心があればあるほど苦しまなければならないのかなと思います。
先生 苦しまなくてもいいのではないかな。
自分が偉くなれなければならないとか、自分がその場で中心になって偉くならなければならないというような、一番にならなければならないという心が働くから、やはり悩むのであって、お互いに、ともにという心がでてこないうちはずっと悩み続けるのでしょう。
現実は情をもって、いろんな人を慰めたり、泣いたり、ともに苦しむけれど、それをみているもうひとつの眼があればいいのです。
私の先生もそれに落ちなければいいのだとおっしゃる。
この世には、時間があって、時間とともに変化していく心なのです。自由なこころを作らなければ駄目なのです。
深い三昧に入れば、自分の状態をみている眼がひらいてきます。
自分を導く眼、偽善ではなくて本当に自分を導く眼というものの、しるしというか、なにか基準はありませんか。
先生 この世には時間があるから、絶対的な眼というものはないのです。




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