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 二元対立を超えて

瞑想のとき、先生はAという自分がBという内なる自己をみるようにして座りなさいというふうに教えている。
先生 AとBの話をすると、みんなは何故、対立してものを見る目から離れられないのでしょうか。
対立していますね。
先生 対立していないで、AもBも両方わかるような目ができないのだろうかと思います。
そこにいくと、その観察する目が正しいと思うのです。
観察を細かくしてしまうのです。
たとえば藤の花を見るならば、観察したって藤の花は藤の花なんですから、もっともっと離れてみるのです。
東北のあそこに咲いているのか。もっと離れれば、日本列島もみえます。そういうふうにみるのです。
この対立を超えるようにと思って、みんなを引っ張っているのです。
そうしたら、滝にはいっても何も考えることができないような、結局は何もない自分に気がつくような、そんな境地までいけば、生き方がかわると思います。
そこまで、引っ張っていけたら後はわたしは責任がなくなります。

支えのない思念が瞑想には必要ですけれど、それは客観性から生まれてくるのです。
客観性が生まれてきて、主客が逆になります。それを意識の移行とわたしはよんでいます。
意識の移行がないと客観世界を抜けられないのです。
みんなはAもBも、主観も客観も両方がわかる目を持っているのですけれども、気がつかないのです。





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