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 なんとなく行をしたい

何故、ここにきて座るのかと先生が問われることがありますが、わたしの場合はなんとなく、ただ来たいから来ているのですけれども。
先生 なんとなく来たいということは凄いことです。自分が何かを求めている。その求めているとこは何かということは、脳で考えては駄目です。
求めているその心を基準にして、いつも同じ意識のレベルからその心をずっと見ていて、だんだん客観的に見られるようになります。
何をしてもやってくる、その心が自分にとって尊い心なんじゃないかなと、確固たる手ごたえのようなものがでてきます。
その手ごたえをつかんで、そこを中心にしてじっと座ったらいい。その手ごたえを感じるのが内なる自己です。
ここへやって来たいというそれが内なる自己の心なのです。
それを基準にしてものを考えたらいいのです。ここに来るときも、瞑想の時も。
それにいろいろ知識を埋め込むからおかしくなるのです。素直に来たいから来るのだという心を出せばいい。
神様をどう考えているかと言ったら、困った時に拝みたいから、頼みたいからと、そう思えばいいのです。
救われたいと願っている心があります。
その心を育てていけばいい。
育てるということは、言葉を変えて言えば、自分を否定していることになるのです。





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