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| 先生 | あれだけ悩んだわたしの六十年は何だったのでしょう。それはカルマであっても、いつかは過ぎます。 こんな思いをして、わたしはやっていけるのだろうかと何度も、何度も思いました。 教室で教えるようになったら、友達との付き合いも一切なくしてしまいました。 心の奥に苦しみや何かを抱えているから、いつどうなるかわからないようなことでも、たんたんとやってきたのです。 自然の流れのままに生かされているものだ。流れのままにそうやって変わっていくのだ。自分の努力で座ったからどうの、滝にはいったからどうなるなんてないのです。 そんな時は、小さな願い、子供が遅刻しないでいきますようにとか、それくらいの願いしか人間にはできないのです。 それをみんな行をすることを大層なことと思って、自分が滝に入ったり、座ったくらいでころっと変われるなんて思っているのです。 変われるはずはないのです。変わるならわたしだってもっと楽になっている。そうしながらやっているのです。 行の間守られているといっても、泥棒がはいらないようにとか、火事にならないようにとか、子供が怪我をしないようにとか、そんなささいなことだけに過ぎないのです。 流されているのなら、とめどもなく流されて、大きな海原にいけばいい。 そうすれば、集合無意識のなかです。個人なんて消えてしまって、大きな海原になります。 自分の願いなんてけちな願いなのですから、何も考えられないように一瞬のうちに滝にはいって、自分をみつめるのです。 人間が一番心配するのは、この次、何をするかということです。そしたら、それは神様にお願いして、自分はもっと大きな次元から眺めればいい。 変えたいと思ってもそう簡単に変えることはできないのですから、滞ることなく流れていく姿を見つめられればいい。客観的に自分を、人生を見られればいいのです。 |
| N | そんな力がでればいいのですね。 |
| 先生 | でも、生かされるままに生きていくのは大変なこと。 みんなそれに抵抗して、何かになりたくているのです。流されるままに流れていくことは、神の心にそったことです。そういうふうに自分は生まれついて、そうなっているのです。神の御心というなら、神ながらの道を生きていく以外ないのです。 |
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