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 絵にかいた餅

先生 座っていて、足がしびれたとか、痛くなった。けれども、それも感じなくなり、ただ、朦朧としている状態。そのなかで眠気と一生懸命に戦っている。
それは集中がないからです。
そこを捕まえていないから、眠さがくるのです。
もうひとりの自分がでて、座っている自分を小さく見ているような時は、眠気はでません。
先生 それと同じことを、あなたはパターン化して作りだせます。今度は、作りだしては駄目といわれたら、何をしますか。
作り出さなくても、心はそれを見せてくれるようになるのです。
そこの差なのです。
最初は自分が作り出した自分を作ったり、見たりして集中しています。それをパターン化しなさい。その意識の状態がわかるようになります。
でも、心がストレスを感じていたり、いろんなものを受けていると、その情景が出せなくなってきます。
日常生活をシンプルにして、穏やかな生活をしていると、心の条件が揃うと、いつでもそのパターンがだせるようになるのです。
ある程度長く座った人はそういうイメージは出せるようになっています。でも、そのイメージは絵にかいた餅で食べられないのです。
それは捨ててしまいなさい。
では、どうしよう。また、最初から感覚からと思います。そうではないのです。
食べられる餅がでてくるのです。
心に映像を眺めていただけでも、作りあげている時は、みんな理想だとか、夢ばかり追いかけて、理想の自分を描きだしています。
いつでも理想の自分をだしたいと思っているのです。
本当に心からでたときは、自分の見たくないというものが見えてきます。そうすると、ああいうふうには二度と自分はなってはいけないのだと、深い所で認識して、日常生活があらたまってくるのです。
そこの紙一重の差を、言葉だけにたよらないでください。
ヨガの最終的な所は利他というけれど、自己愛では駄目なのです。
みんなを思うような、大きな愛に変わらなければ駄目なのです。
有形、無形に対しても支えてやるのだという心がでてきます。
そういうふうな心がでてくると、自分がパターン化して描いた訳ではないのに、すっかり同じものがでてきたということになるのです。
その紙一重の所をしっかり記憶しておかなくては。
何とか、自分の理屈を成り立たせたいと思っているうちは、なかなかわからないのです。
自分で自分のなかの手掛かりをつかんで、それがこの世に出たとき、現象としてでたときにどうなるかということを自分でつかむ以外ないのです。




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