| Home | 瞑想対話集:目次 |
| 先生 | 土曜クラスでS君がはいったと思ったから、どうだったと聞いたのです。 すると、あっちが密教で、こっちが顕教だとわかりましたと答えたのです。 意識が移行したのですけれど、現実に自分という存在は消えないし、同時にあっちもこっちもわかるということになるのです。 |
| H | そこまでにいたるには、何があったかといいますと、富士塚が近所にあって、そこに登ったり、近所の八幡様にいったり、自分が生まれてこの方、どういうところを引越ししながら生きてきてのか、その地主の神様が意味をもってつながり始めた感じです
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| 先生 | わたしが自分というのはどういうものか整理をしておきなさいといいます。 S君はそれをやっていたらしくて、時間のあるとき、散歩をしていた。そんなことに気がつかないうちは、ゴミ捨て場くらいに思っていた。よくみたら、富士塚でうれしくなって登った。 そしたら、そういうものに登って、こういうふうに考える自分というのは何なんだろうというふうに、今までにない自分に気がついた。 今までは自分の考えで行動し、自分の存在というのはこういうものだと思っていた。 そこから、もう少し進めていくにはどうしたらいいか。 宇宙の層とか、心の層というものは文章ではなかなか書き表せない。数式でしか書き表せないという人もいます。 「ビューティフル・マインド」という映画があります。 主人公がバーチャルの世界にどうしても引っ張られていて、瞑想で言えば、その想像の世界に堕ちてしまうということです。 そのなかから、これが現実、これが想像の世界というふうに自分で区別できるようになったら、また、数学の勉強ができるようになった。 現実を知って悩む自分と、もうひとつのバーチャルな世界、瞑想で言えば無意識の世界であって、霊的な世界なんですけれど、そういうものに引っ張られていって、現実がおろそかになったり、現実も空想のなかでしかものを考えられないような分裂的な人間にならずに、自分ではっきりしそれをわけることができるようになった。 それを超えていけば、皆さんも霊的な次元がわかるのです。 S君が瞑想のなかで、現実が顕教、向こうの世界が密教、そういうふうにいうのだとはっきり自覚しました。そのとき、捨てたはずの自分の存在というのは、まだまだあります。 いくら、無意識の世界、密教の世界を歩いてきても、その出口からでてくれば、ちゃんと現実の自分にもどれます。分裂症になりません。 ある方が帰神法をしていて、お前は何が好きだといったら、自分のなかで油あげだと答えるものがいるのです。 問うものがいたら、答えるものがいる。 それが終わって、何だろう。確かに自分は油っぽいものがすごく好きだ。 そしたら、自分が答えたのではないか。 では、それを問いかけたのは誰だ。でも問うのも自分だということがわかった。 自分のなかでどっちが本当なんだろう。 それは、どちらが本当ということではない。 現実の自分がいて、無意識のなかで自分の心のなかで、問うものができて、答えるものができる。 そのときもクリーンな心に同調した、神霊でもいいし、もう一段上の、それらを全部 ふくめたもの、それをみる眼ができる。それが覚醒するということなのです。 今までは、ごみ捨て場のように思っていたのが、時間をついやして、そういうものに心を向ける自分は何なんだろう。 そこには、いつも見守ってくれているような、何か方向を教えてくれるものがいそうだなと感じるようになると、そのものによろしくお願いします。間違いのない方向にお願いしますと、だんだん成長していく。 |
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