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 胡蝶の夢

目の前に問題がでたら、違う層(絶対)から知恵がくるようになればいいなと思っていました。
佐藤 それは、時間を考えていないといいました。
ここの絵はすべて無意識のなかでの思い、夢でしょう。
実際には時空間があるのです。
ここは、意識の移行というところでとても大事なのです。
胡蝶の夢という荘子の話を知っていますか。

「夢に胡蝶となる」
いつだったか、わたし荘周は、夢で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶だった。心ゆくまで空に遊んで、もはや荘周であることなど忘れ果てていた。ところがふと目覚めてみれば、まぎれもなく人間荘周である。はて、荘周が夢で胡蝶となったのであろうか。それとも、胡蝶が夢で荘周となったのであろうか。(中国の思想 荘子  徳間書房より)
(前4世紀 戦国時代の荘周の著作はといわれている)

佐藤 一見、華やかな姿になって舞っても、現実には脱皮してとんでいくこともできないので、現実というのははかない。
絶対と自分が思っているところから知恵というけれど、その神様を自分はどのように考えているのか。
皆さんの絵は無意識のところです。
皆さんはそういう思いがあって、瞑想をしています。ということは、無意識のなかのことで、想像の世界なのです。
この話で寝ているということは無意識の世界のことです。
胡蝶が自分であると思っているということは、荘周は消えているのです。
夢からさめたら、自分が荘周であるとおどろいた。
そうか、やはり自分は荘周なのか、舞い踊っていた蝶は夢だったのか。なんで、実感のわくようなそんな世界があるのだろう。
ということは、現実と無意識の世界があるということです。
肉体で感じると同じくらい、感覚的なものが無意識の世界の蝶にもあるのです。
蝶が夢だったのかと思うのと、今、こうやっている自分は蝶が荘周になっている夢なのか、区別がつかないという、あいまいさが面白い。
佐藤 その時代には、無意識の世界はわからなかった。
ある程度瞑想ができるようになると、ほとんどこうなるのです。
夜、寝ているとどっちが自分なのかわからなくなりますという生徒がいました。まだ、この子は感覚をもっているなと思ったから、感覚のあるほうが自分なのですといったら、「あっ、ぼくもそうなんです。布団にほっぺたをくっつけて、感覚のあるほうが現実の自分だと思っていました」といった。
別の生徒は、座っていて、部屋が暗くなってきたとき、自分の幽体が電気をつけたといった。
この生徒は超能力にあこがれていた。
違う、それは肉体のあなた自身がつけたのです。無意識の世界が現実だと思って、ふとわれに返って、暗くなっていたので、そのままの意識で電気をつけたので自分の幽体が電気をつけたと思った。
それは、違うといったけれど、なかなか理解できなかった。
こうなるのは、何が欠点だからかわかりますか。みんな、こういうふうに分離した状態にはなるのです。
集中しないで無意識の世界にはいっていくとほとんどこうなるのです。
集中というのは、凝視。それが集中に変わっていくのです。
この話では荘子もまだ、若くて修行中だったのでしょう。
これは、男の夢ではない。竜になって空に上ったとかではない。
たとえば、孟子の母親は何度も子供のために住まいを変えた。たぶん、父親がいなかったのではないかなと思った。
荘子も女性的ななにかが欠けていたのかな。
荘子にも現実の世界と無意識の世界の区別がつかない時期があったのだなと思いました。
現実には時間空間を超えられないのです。歳をとっていくのです。
瞑想で想像しているのは、現実と当てはまらないのです。現実と照らし合わせて、しっかりと重なるようにしておかなかったならば、瞑想は何の役にもたちません。
それが、力なのです。
どっちが自分がわからなくなるような、そんな瞑想では駄目なのです。

2002年3月2日



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