| Home | 瞑想対話集:目次 |
| A | 心の中で葛藤が起こり、不埒な感じをださないとやっていられないことがあります。
そうでないと自分がこわれてしまうのです。 |
| B | ひとつのことをつめて考えていると、そのひとつを押さえているのが大変なせいなのか、そこに焦点をあてているのが嫌になって、逃げるような自分はよく感じます。 |
| 佐藤 | 皆さんは心の進化をはかるという大きな目的があって、瞑想しているのです。
心の自由というのは、自分からも物からも自由でなければならないのです。 だから、自分の心をよくみなさい。不埒な心があるかもしれない。正しい心があるかもしれない。 自分の心のなかに何があるかもわからないで、自由だといっても、それではもっともめるもとになります。 自分がどういう奴なのか、よくよくしらなかったならば駄目なのです。 アストラルの三昧、カラーナの三昧に入ったとき、自分の状態は物も環境もかえられるのです。だんだんと、変えていくことができます。そういう瞑想をしなさい。 ものを並列に考えるのではないのです。正しいもの、正しくないもの、どっちを選ぼうなんていっているのでありません。社会というのはいろんな人間がいるのだから、いろんな人に応えながら、生きていかなければならない自分なのです。 この肉体がある世界は、いがみ合いの世界なのです。だから、そこから心を自由にしなさい。 何から自由になろうとしているのかわからなかったならば、こんな勉強は何にもならない 自分自身からも物からも離れた自由な心をつくらなかったならば、いつまでたっても苦しい。苦しむために生まれてきたようなものです。 二者択一に並列にものを考えて、一生をおわっては駄目です。 その裏はどうなっているのだろうというふうに、垂直にいくのが、心の自由というのです。 だから、自分の心というのは、自分というやつはと箇条書きでもいいから表現しておきなさい。 そこから、垂直に心が自由になる。まだ、自由になっていないから、そんなに悩むのであろう。 そういうふうに、自分の判断の基準がたかくなっていけば、瞑想も価値はあるとおもいます。 現実は情をもって、いろんな人を慰めたり、泣いたり、ともに苦しむけれど、それをみているもうひとつの眼があればいいのです。 この世には、時間があって、時間とともに変化していくのが心なのです。自由な心を作らなければ駄目なのです。 深い三昧に入れば、自分の状態をみている眼がひらいてきます。 |
| A | 自分を導く眼、偽善ではなくて本当に自分を導く眼というものの、しるしというか、なにか基準はありませんか。 |
| 佐藤 | この世には時間があるから、絶対的な目というものはないのです。 |
| A | なるほど。 |
| 2002年4月6日 | |
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