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 深さ

先生 深い所で自覚をすれば、カルマは二度とでないのです。
現実の所で、もうこういう人生は嫌だ、こうありたいのだ。ああありたいのだという夢を描いているけれども、瞑想の時、その姿を見ると、現実と違うから、どうしてもその種をしっかりと見ることができません。
そして、みんな嫌がって、自分の思っている夢と照らし合わせることができない。
苦しい種というものはみんなつかみたくない。
それを触れずに現実の中で何かいい方法はないだろうかと思って、試行錯誤しながら、あっちへいったり、こっちへ行ったり、うろうろ迷い始めます。
それがわかれば、夢は消えずにちゃんと実を結ぶのです。
先生が深い所でとおっしゃったら、深さというのは何を表しているのか、そういうことも整理しておかないといけません。
整理さえすればはやいのです。整理をすれば近道はいくらでもあります。
深くと言った時は、自分はどういうふうに理解するか。
それは日常会話のなかでも、この人は深いと言ったら、随分沈んだことをいうなとか。
感情的に沈んでいるなとか。
では、感情的に深くといったらどこまでいくのだろうとか。
日常生活のなかで、あなたたちの知識、あなたたちの体験を整理しておきなさいというのは、そういうことです。
あなたが必要としている水脈を探しているのなら、水脈の走っている所を掘り下げていきなさい。
それは感情となってでてくることなのです。
苦しいとか、うれしいとか、そういうふうになってでてくるのです。
憎いとか、焦りとか、焦燥感となってでてくるのです。
それを整理しておきなさい。
意識のなかと、現実というところではギャップがあるのです。
そのギャップを考えずに、ただ瞑想すればカルマを抜けてすばらしくなるだろうと思っても、それはうぬぼれなのです。
だから、そこの所はもう少し自分のかなで、秩序正しく整理しておきなさい。そうすれば、はっきりしたわかりやすい答えは出てきます。
でも、そういうことは真剣に考えたくない。
何だったら、叱ってほしいと思っている。
答えを聞かせてほしいと思っているのです。





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