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佐藤先生との会話より(3月更新)


2002年3月11日 胡蝶の夢  その3
実際に座っていて、遠くにというふうに座りました。
それは方向性という言葉からイメージすることなのですけれど。
佐藤 遠くにということは、三層になっている脳の奥にはいっていく感覚的なことをあらわした言葉なのです。
映像として超感覚的に自分が遠くにいくのが感じられる。現実から離れていくような感じになるのです。
早く無意識にはいらないと、うろうろと悪夢を見すぎるのです。
あなたたちが神様として仕えている神も、神様ではない、もとは人間と言われたらなんと言うことをとうらむでしょう。
そんなことを言う人とは付き合いたくない。
世の中の現実というのはそんなものです。
やはり、そういう人の心になって自分も受け止めなければ駄目なのです。
遠くにいくということは、現実から離れていくことなんです。旧脳に入っていくことなのです。ですから、とてもシンプルなんです。生命維持だけですから。
自分が生きていくだけですから。
年取った女性と結婚して子供が生まれない、若い女性となら生まれる、それは自分が選択していることなのです。
遠くに行くという方向は、現実から離れたということであって、集中点がなければ胡蝶の夢になってしまいます。
こんな偉い荘子でもそういう時期はあったのです。
時間空間を忘れて、無意識の中でそうなっていては駄目なのです。
遠くにいくということが、無意識の方向ということではないのですね。
無意識のなかに深くはいっていきなさいというのは、無意識の方向性を定めないといけないというのと違う意味合いでおっしゃっているのですね。
佐藤 現実の自分が目をあいて、整理しなさいということです。
自分の思っている自分とはこういうやつでと整理しなさいということです。
自分は昔は人間であっても、今は、その偉い人を神としてお仕えしているのだということを認識すればいいのです。
正しいとか、間違っているとかいうひとではないのですね。
佐藤 それがいいとか、悪いとかということを言っているのではないのです。
だから、無意識にたどり着くのも早いからいいとか、遅いから悪いなんてそんなことは一度も言っていません。
現実がごちゃごちゃしていれば、無意識も悪夢の中みたいなものなのです。
だから、現実の自分はどういう人間なのかよくみておきなさい。
たとえば荘子が筋骨たくましくて、どうしても結婚したいというような人だったならば、それを学んで、そうか自分は結婚したほうがもっと穏やかに学問できるかもしれないと思ったら結婚したらいい。
それがいいとか、悪いとかではないのです。
教えなのですから。
自分は自分でいろいろと整理しておきなさい。そして、シンプルにしておきなさいるそしたら、どんどん遠くにいったとき、行き着くのは自分が希望している、シンプルな。現実に答えをだしているところが、集中点になってくるのです。
そこでみる夢ならば、本当の夢。正夢になって現実におきてくることなのです。
自分が考えていること、疑問点、悩んでまだ答えがでない点とか、疑問と悩みがひとつになる人もいるかもしれません。
また、夢というのもあるかもしれません。でも、現実とサイズが違えば消えてしまう のです。
では、極論すると、現実で悩みのない人は瞑想できないのですか。
佐藤 悩みといっても、さっきから年取った人は子供が生まれないだろうが、若いなら子供がたくさんできると話したとおり、そんなのは悩みのうちにはいりません。
皆さんはそういうことも悩みと思って、本当の悩みと一緒くたにしているからです。
自分で選んで、自分で歩いて迷子になってしまうなんて。
自分で選んで、迷子になってしまうというのは、自分の力不足ですか。
佐藤 それは、心の働きがそうなのです。
それは、防衛機制がはたらいているのです。
自分が見たくない世界なんだ、そう思っているのだったら、自分だけが知っていればいいんだから。
そうやって、自分のことはまとめておきなさい。
先生は無意識の方向性のとき、自分はこういうふうに思う癖があるんだというふうによく自覚することが方向性を定めるとおっしゃいます。
佐藤 現実に整理をしていたつもりだけれど、無意識の中にはいってくると、無意識の中というのは非常識だから、現実には整理されていても、非常識なものがひょこひょこと顔をだしてくるのです。
無意識の中では理性的なものが失われるのです。
日常、話をしていてもそういう無意識の原動力があるのだなとわかってきて、夢でもふだん考えていることがでているのだという気がし始めてきたのです。
佐藤 だから、そこまでわかってきた人に、いつまでも呼吸法なんか教えずに、遠く無意識のなかにいきなさいというのです。
そして、遠いところのそれがもうひとりの自分だということにはっと気がついたときは、意識が移行しているということです。
雑念のなかでいろいろと考え事をしている傾向というのを自覚するということが、方向性だといわれて、自覚した瞬間というのは、意識の層がかわるなと思いました。
佐藤 そういうふうになったとき、あなたが無意識の中にはいってうだうだ考えているときは、まだ無意識にはいってない。
無意識というのは、本当にもっと非常識で、もっと思いがけないことがでてくる。
だから、さっさと深いところにはいっていきなさい。そしたら、はいっていった自分の目的をつくっていたら、目的だけが目を覚ましているそこだけが覚醒しているのです。
あとは非常識になって、ぐうぐう寝てしまえばいいのです。
覚醒しているそれだけが、鮮明にわかればいいのです。
無意識にはいっていって。
佐藤 といっても、みんなが無意識にはいっているところを見たことはない。
無意識にははいっていると思いますが、先生が要求しているレベルまではいっていないということだと思います。
その無意識にはいって、覚醒してわかるというのは、誰が、どの自分がわかるのですか。
佐藤 瞑想から覚めた自分が。現実には考えたこともないとおもったのに、だけど、心の裏ではぺろっと舌をだして、本当は自分だって知っている自分がいるんだと自分でもわかっている。
自分のなかで分裂している自分にも気がつく。それがひとつになればいいのですけれど。
瞑想から覚めれば。
ひとつの約束は集中点からはいっていって、集中点からでてくるということなのです。
集中点とずっとおっしゃっているということは、自分のなかで疑問やなにかを整理して確立しないうちは、瞑想なんかできないということですか。
佐藤 できない!
問題意識も悩みもないものは瞑想なんかしないでいいということですね。
佐藤 現実のなかで悩んでいたほうがまだ、お金もかからないし、無駄にならない。時は金なりというのが現実ですから。
といっても、今、あなたは表の心で質問したからだけれども、本当のもうひとつ、表裏一体の裏の心ではいっていく無意識の世界がみえてきたときには、ひとくさり文句がでるけれど。
深すぎて理解できない。
理解できないです。
佐藤 わたしはどこか、場所を借りて家賃を払って、受付の人を頼んで瞑想を教えるとしたら、長く教えるようにすると思います。
でも、わたしにはそういうものがないから、本気で本音で教えるから。
世の中で瞑想をおしえる人はチベットにいって、現実をみて、文献を読んで本を書いたりしている人がいっぱいいるから、みんな惑わされているのです。
本当の意味がわかってないのです。
いろんなものにまどわされないように、自分で目をあけて整理しておきなさい。自分は何のために瞑想するのか、認識しておきなさい。
そしたら、はいっていきます。
これは動物の本能で一回、道をつけるとその道しかあるかなくなるのです。
霊能者は霊能者のコースがある。その世界のことしかわからない。それぞれ個性があるのです。
一回、集中して脳のなかにはいっていったら、そこをしょっちゅう歩くようになるのです。
自分のなかで組み立ててください。そのとき、現実の自分がどうありたいか。そして、そのとき、周りにどんな影響を与えるかということも考えてください。
それを加味してどういう人間になりたいかということを考えたとき、はじめて最終的な集中点ができて、そこからいったりきたりすることができます。
現実の自分を整理しないでいったりきたりしていたら、犬と同じです。
寝てしまうというのは、無意識の中で迷子になっているのです。自分の覚えた道しか歩かない。
(2002年3月2日 土曜クラス)



2002年3月8日 胡蝶の夢  その2
佐藤 胡蝶の夢をみるような荘子というのも、母親というか女性というか、そういうものにはとても孤独な人間だったのであろうか。だからこそ、後世まで残るようなところまで突き詰めて考えることができた人なのかなと思いました。
荘子が蝶の夢をみたという、その人の無意識をみるだけで、その人の再生だとか、今の人生だとか、思想だとか、いろんなものがわかってくるので面白いものだなと思います。
皆さんは自分が無意識に思っていることと、現実とがかけ離れている。
あなたはどういう人間になりたいのですか。
とてもさびしいというか、そこから逃れることのできる人間になりたいです。
佐藤 ということは、すごく偉い人になりたいのですね。
たくさん家来が、たくさんの人が仕えてくれる人になればいいのですね。
あなたの勤めている神社ほど、人が訪問してくる場所はありません。
朝から晩まで、参拝者がいます。
孤独なんてことはない。さびしいなんていうことはないはずです。
それでも、自分のなかで孤独を感じるという。
それから、逃れるということは、偉い人になりたいということなのです。
えっ、つながらないです。
佐藤 偉い人になりたいと思うけれど、あなたが宿命としてもっている孤独さからは逃れられません。
偉くなった頂点にはボスはひとりなのです。
宮司とてひとりしかなれないのです。
あなたは宮司になれなかったら、すごく悲嘆にくれるでしょう。
この話を先日したけれど、この後、何を言ったか覚えていますか。
記憶にないです。
官僚機構の中でコースから落ちたら、孤独になる。そうなりたくない、残っていきたい。そうすれば、孤独から逃れられると思っているのは、はたで聞いているとよくわかるのですが、普段は理解力のあるh君が、そこにくると話がわからなくなるという。
心の世界というのは不思議だなとあらためて思いました。
皆さんはおわかりになっているのですか。
佐藤 みんなわかっています。(笑い)
わからないのは本人だけ。
それは、受け入れなければ駄目だという言葉をつかう人もいます。現実を受け入れなければ。
受け入れるということは、他人のことを聞くようにたんたんと聞いて、そして、深く思考をめぐらせればいいのですけれど、自分のことになると悪いところは見ないで、いいところだけ拾いながら何とか上り詰めようと思うからです。
最近は宮司になる器ではないと思っていたのですけれど、その立場では耐えられないだろうなと思っていたんですけれど。
佐藤 あなたは神主になったのだから、ひとりでもいいから、楽しい思いをさせられるお宮になったらいいねと言ったことがあります。
悩みを持ってお参りにくる人を、心楽しく、勇気づけるような言葉をかけられるような人になっていけば、孤独はなくなるでしょう。
でも、今の考えで一生懸命努力して宮司になっても、孤独はなくなりません。そして、死ぬとき、何とはなしに悲しい一生だったな、空白な一生だったなと思う。これだけ努力してなぜだろうと、現実のむなしさを夢から醒めて思うように。
荘子とても、わからなくなるようなこともあった。
では、そうならないためにはどうするかといえば、集中があればいい。
そこから無意識にはいっていけばいい。
布団の肌触りで自分というものがわかるように、自分というものを知っている五感があるのだから、自分という記憶を知っているそこから出て、その集中したところから現実に戻らなければ駄目なのです。
漠然と悩み事をしていたら、自分本来のコンプレックスがでるようになってしまう。
荘子だとて、女性的ななにかの悩みがあったのでしょう。
そしたら、自分は女性にあこがれる自分もいるんだなということに気がつけば、それはそれでよしということなのです。
易経の解説本を読んでいたら、ある男性が歳をとった女性と結婚して子供が生まれないとか、若い女性と結婚して子供が生まれるとか、それは易経には現れないと書いてありました。
みなさんはいつ結婚するのだろうとか、どういう人と結婚するのだろうとかそんなことばかり気にしている。
歳をとったものと結婚すれば子供はできないのは当然だ。当然のことをひやひやしながら、うろうろしながら空想ばかりしている。
そんなところを易では教えているのではないのです。
易というのは何を見ようとしているものだろうと思っていました。
無意識をみたら、その人の人生から過去までわかる。
そのなかには、どんな歳の人といっしょになるとか、そんな自分を心配するあまりああでもないこうでもないと、想像の世界が大きくなっても、そんなのはいつかは消えていく世界なのです。
あなたもミニスカートの女性をみて悩んだことがありますけれど、そんなことは当然のことで、そこで悪夢のような夢を描くから不幸なことになっていくのです。
現実は厳然としてある。消せないものなのですから。
それにあった無意識の世界とがしっかりと合わさればいいのです。ちゃんと表裏いったいということばのように合えばいいのです。
具体的にいうとどうすればいいのですか。
佐藤 時間空間を忘れているからです。
悪夢のような想像ばかりが大きくなって、現実は偉くもなれないのに、偉くなる夢ばかりみているからです。
最澄と弘法大師の最終的な違いは、女体の快楽も現実で受け入れるということと、そうあってはならないという最澄と、最終的にはそこのところです。
荘子も孟子も母親の言葉にしたがって生きてきたのは、人間の根本的なところにはやはり、その嘆きはあるのだと思う。
でも、その嘆きがあったからって、そんなものを易経で教えているのではないのです。
もっともっと深いところで現実というものを考えなければならない。
この絵をみんなに描かせたとき、先生はみんなに無意識の方向性を教えなければとお考えになったということですが。
佐藤 無意識の方向性というのは、悪夢の中では方向はないのであって、現実をしっかりと見極めて置かないということです。
現実を知らない。自分を知らなすぎるからです。
それが、方向なのです。
瞑想すると、無意識の中にいろんなものがでてきます。
そのなかで方向をとるということは。
佐藤 現実が何を考えている人間なのか。その現実がどういうふうに変えていけるか。
いくつの人と結婚するかなんていうようなことは運命とは関係ないということです。
自分がその蝶から得られるものを、どういうふうにお手本にして、どういう人生計画をたてられるかということです。
年輪と同じくどれくらいの年月がかかるかというような、そういうことを無意識の中でつかむことができるようになるのです。
話が飛んでわからなくなってきましたね。
(2002年3月2日 土曜クラス)



2002年3月6日 胡蝶の夢  その1
目の前に問題がでたら、違う層(絶対)から知恵がくるようになればいいなと思っていました。
佐藤 それは、時間を考えていないといいました。
ここの絵はすべて無意識のなかでの思い、夢でしょう。
実際には時空間があるのです。
ここは、意識の移行というところでとても大事なのです。
胡蝶の夢という荘子の話を知っていますか。

「夢に胡蝶となる」
いつだったか、わたし荘周は、夢で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶だった。心ゆくまで空に遊んで、もはや荘周であることなど忘れ果てていた。ところがふと目覚めてみれば、まぎれもなく人間荘周である。はて、荘周が夢で胡蝶となったのであろうか。それとも、胡蝶が夢で荘周となったのであろうか。(中国の思想 荘子)  徳間書房より)
(前4世紀 戦国時代の荘周の著作はといわれている)
佐藤 一見、華やかな姿になって舞っても、現実には脱皮してとんでいくこともできないので、現実というのははかない。
絶対と自分が思っているところから知恵というけれど、その神様を自分はどのように考えているのか。
皆さんの絵は無意識のところです。
皆さんはそういう思いがあって、瞑想をしています。ということは、無意識のなかのことで、想像の世界なのです。
この話で寝ているということは無意識の世界のことです。
胡蝶が自分であると思っているということは、荘周は消えているのです。
夢からさめたら、自分が荘周であるとおどろいた。
そうか、やはり自分は荘周なのか、舞い踊っていた蝶は夢だったのか。なんで、実感のわくようなそんな世界があるのだろう。
ということは、現実と無意識の世界があるということです。
肉体で感じると同じくらい、感覚的なものが無意識の世界の蝶にもあるのです。
蝶が夢だったのかと思うのと、今、こうやっている自分は蝶が荘周になっている夢なのか、区別がつかないという、あいまいさが面白い。
佐藤 その時代には、無意識の世界はわからなかった。
ある程度瞑想ができるようになると、ほとんどこうなるのです。
夜、寝ているとどっちが自分なのかわからなくなりますという生徒がいました。まだ、この子は感覚をもっているなと思ったから、感覚のあるほうが自分なのですといったら、「あっ、ぼくもそうなんです。布団にほっぺたをくっつけて、感覚のあるほうが現実の自分だと思っていました」といった。
別の生徒は、座っていて、部屋が暗くなってきたとき、自分の幽体が電気をつけたといった。
この生徒は超能力にあこがれていた。
違う、それは肉体のあなた自身がつけたのです。無意識の世界が現実だと思って、ふとわれに返って、暗くなっていたので、そのままの意識で電気をつけたので自分の幽体が電気をつけたと思った。
それは、違うといったけれど、なかなか理解できなかった。
こうなるのは、何が欠点だからかわかりますか。みんな、こういうふうに分離した状態にはなるのです。
集中しないで無意識の世界にはいっていくとほとんどこうなるのです。
集中というのは、凝視。それが集中に変わっていくのです。
この話では荘子もまだ、若くて修行中だったのでしょう。
これは、男の夢ではない。竜になって空に上ったとかではない。
たとえば、孟子の母親は何度も子供のために住まいを変えた。たぶん、父親がいなかったのではないかなと思った。
荘子も女性的ななにかが欠けていたのかな。
荘子にも現実の世界と無意識の世界の区別がつかない時期があったのだなと思いました。
現実には時間空間を超えられないのです。歳をとっていくのです。
瞑想で想像しているのは、現実と当てはまらないのです。現実と照らし合わせて、しっかりと重なるようにしておかなかったならば、瞑想は何の役にもたちません。
それが、力なのです。
どっちが自分がわからなくなるような、そんな瞑想では駄目なのです。
(2002年3月2日 土曜クラス)



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